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ロンドンのモーツァルト

1763年6月9日、モーツァルト一家はミュンヘン、ウィーンに続いて3度目の旅行へと出発しました。

ミュンヘン、アウグスブルク、ウルム、マンハイム、マインツ、コプレンツ、ボン、ケルン、アーヘン、リエージュ、ブリュッセル、パリを経由して、モーツァルト一家がカレーへとやってきたのは1764年4月19日でした。

この10ヶ月の間にヴォルフガングは、4曲のクラヴィーアとヴァイオリンのソナタ(K.6、7、8、9)を出版しています。わずか8歳なのに!

カレーにて初めての海

オーストリアのザルツブルク で生まれたヴォルフガングは海を見たことがありませんでした。 それは姉のナンネルも同じで、彼女はその感動を日記につづっています。

イギリスへ行くには当然、このドーヴァー海峡を越えなくてはなりません。モーツァルト一家は快適な船の旅をするために、もうすでに満員だった定期便をあきらめ、専用の船を1隻チャーターしました。とはいえ、初めての船旅が快適なわけもなく、ひどい船酔いに苦しめられた、と書いた手紙を送っています。

このドーヴァー越えはお金がかかりました。そりゃそうでしょう。現代でも船をチャーターして行くなどなかなかできません。レオポルトは皮肉ってこう言ったとあります。「金が余ってしょうがないなら、パリ〜ロンドン旅行でもしてみればいいでしょう。財布は必ず軽くなります。」

ロンドン到着

1764年4月23日、モーツァルト一家はロンドンに到着しました。そして、セシル・コートにある床屋ジョン・カズンズのところで部屋を借りて生活を始めました。

その後、ヴォルフガング、ナンネルのモーツァルト姉弟は王侯貴族の前で演奏したりしました。どこへ行ってもヴォルフガングの才能は人々を驚かせました。なにせ、演奏できない曲というものがなかったのです。王様が持ってきた譜面を初見で完璧な演奏をしてしまいました。

父レオポルトの病気

1764年7月下旬(?)ごろレオポルトは病気になってしまいます。 その療養のため、モーツァルト一家はチェルシー村のファイヴ・フィールズ・ロウにあるランダル氏宅に移ります。

そこではヴォルフガングはクラヴィーアに触ることができませんでした。なぜでしょう?ピアノの音が聴こえるとゆっくり寝てられないからか、もしくはランダル氏宅にピアノがなかったのでしょうか?。

何にしてもこの間、ヴォルフガングは作曲をして過ごしたのです。数曲のクラヴィーアとヴァイオリンのソナタ(K.10、11、12、13、14、15)と交響曲(K.16)が生まれました。このうちクラヴィーア・ソナタはこの年の年末に出版されました。交響曲はモーツァルト最初の交響曲とされています。

ロンドンを去る

モーツァルト一家は9月下旬にロンドンに戻りますが、その頃はもう演奏会シーズンも終わっていたので収入が減ってしまいました。年が明けてからまた、演奏会を催しましたので少しは収入があったのですが、レオポルトは満足しなかったようです。

人々のヴォルフガングに対する関心はもうなくなってしまったようでした。当時も人は飽きっぽかったのですね。

こうして1765年5月24日、ついにモーツァルト一家はロンドンを去りました。その後、カンタベリーに滞在した後ドーヴァーからカレーへと渡ったのです。




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