最果ての城のゼビア 特設ページ

2 ゼビアの由来 ネタバレ注意!


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2.1 ネタバレ注意!

「最果ての城のゼビア」という題名にはいくつもの理由がありました。今までそれらの理由から「ゼビア」とは何か?についてはできるだけ伏せてきました。ここでは、コンクール参加団体の演奏曲目がほぼ決定したことと思いますので満を持して発表しちゃいたいと思います。がその前にひとつ。

題名の理由の一つに「演奏者が自由な発想で演奏してもらいたい!」ということがありますしそう言い続けてきました。なのでもうすでにオリジナルイメージを持っているみなさんもいることでしょう。ここでのお話はそのイメージが壊れちゃう可能性があるので自分のイメージに自信がある方は絶対に読まないでください。がっかりしちゃっても責任は持てません!

2.2 作曲の経緯

題名の話をするには作曲の経緯からお話しする必要があると思うのでそうさせてください。

吹奏楽コンクールの課題曲は公募制で決まります。誰でも応募できます。特に資格条件とかはなさそうです。過去には高校生の作品が課題曲になった例もあります。興味のある方は全日本吹奏楽連盟のホームページに詳細が発表されるのでどうぞ。ということで応募してみよっかなぁ〜などと思い準備を始めました。1.3 コンセプトイメージでも少し書きましたがまずは課題曲にふさわしいと思われるコンセプト探しから始めました。

ちょうどそんな頃、たまたま読んでいた小説がありました。その小説は映画化もされた「利休にたずねよ」などを書いた山本兼一の「銀の島」と「ジパング島発見記」です。この本はどちらも外国人の目を通してみた戦国時代の日本の姿を描いたものです。たまたま同じようなテーマで書かれているということで2冊連続で読んだのでした。私はその登場人物の一人に注目しました。

その人物はどちらの本でも主人公ではなかったんですが重要人物ではありました。興味を持ったので早速、ネットで調べてから図書館へ行って関連書をさがしました。すると予想通り今まで知らなかった波瀾万丈の人生が次々と明らかになったのです。これは曲の題材にうってつけだ!ということで即決しました。というわけで「ゼビア」とはその人のことだということです。ついでに言うと男性です。

利休にたずねよ (PHP文芸文庫)
銀の島 (朝日文庫)
ジパング島発見記 (集英社文庫)

2.3 その人の人生と城

彼はある地方の城で生まれたらしいです。彼の父親はその城の重役だったというので偉かったんでしょう。いいとこの跡取り息子としてうらやましい環境でお育ちになるのかと思いきや城はあっけなく落城してしまいます。彼は父を失い家なき子になってしまったのです。その頃のその地方は大国に挟まれて領土争いの標的となっていたようです。その結果、戦に負けて併合されてしまったのです。この時の軋轢は現在でもあるようでその地方では今でも民族運動が盛んでテロ事件などもあるそうな。その地方とはバスク地方。彼はフランスとスペインに挟まれたバスク生まれのバスク人なのです。そして日本から遥か彼方に存在したその城が最果ての城の1つです。

彼はその後パリで(スペインに負けて併合されたのでフランスに逃げたのでしょう)哲学とキリスト教を学びます。その頃、彼は仲のいい学友たちとキリスト教サークルを作ります。サークルといえどもその活動は本格的で「神様に一生を捧げる」ことを誓いあうのです。そのサークルの名前はイエズス会といいます。そして彼は文字通り神様に全てを捧げる人生を歩みます。

ある日、彼はポルトガル王の命で宣教の旅に出ることになります。当時のポルトガルは世界中に植民地を持った大国でした。2014年のFIFAワールドカップの開催地でもあるブラジルもそのひとつです(公用語がポルトガル語)。

植民地の経営には困難がつきものです。外人に勝手なことされてムカついてる現地住民と祖国を遠くはなれて不安と寂しさにイラついてる支配層の間で平和な国が作れるわけはありません。どうにかうまくいかないかと思案した結果、現地住民と支配層の仲が悪いのは考え方が違うからと考えたポルトガル王は(その考えはたぶんハズレです。もしかしたら現場のことをよく知らなかったのかもしれません)現地住民をキリスト教徒にしてしまえばいいんじゃないの?ということで植民地に宣教師を送ることにしたのです。そこで彼に白羽の矢が立ったのでした。彼の任務は現地住民をキリスト教徒にし支配者には心の安らぎを与えることでした。

バスクとバスク人 (平凡社新書)
イエズス会教育の特徴
図解 大航海時代 大全 (The Quest For History)

2.4 つらい旅

植民地はもちろん海外なので遠いです。当時は飛行機やどこでもドアなどはなかったので船で行きます。これがまた大変そうです。みなさんの中にも船酔いをする人がいると思います。自動車では酔わないのに船には酔うという人も少なくありません。天気予報が発達していなかった時代では風が強いとか雨が降るとか波が高いとか台風がくるとか全くわからなかったので避けようがないわけですからしょっちゅう荒波にもまれることになります。それに海賊も襲いかかってきます。某ハリウッド映画のイメージですね。

当時の船は帆船です。帆船は風があれば進みなければ止まるというなんとも気まぐれな移動手段です。行きたい方向に風が吹く季節に出発します。それから長い時間をかけて目的地まで行くわけです。彼の旅はまず春に出航して夏にひとまず上陸、次の春に再び出航して夏に到着しています。波に揺られた期間は約8ヶ月。秋と冬は風が反対に吹くので待機です。

船旅で最も恐れられていたのは栄養不足です。船に積める食料は限られています。食べ物だけでなく水も必要です。たくさん積むと重くなるのでスピードが落ちて時間がかかります。海の上で手に入る食料は魚だけです。船が火事になるとヤバいので調理にも不自由したことでしょう。長い航海では生鮮食品がなくなった後は瓶詰めやら乾パンなどの保存食しか食べられません。肉や野菜はありません。そもそも海が荒れれば何も喉を通らないでしょう。4ヶ月間、そんな生活できますか?船乗りはかなりの重労働です。帆を上げたり下げたりもしなきゃいけません。

当時一番恐れられていたのはビタミン不足による壊血病です。彼の時代には壊血病の原因がビタミン不足だということは知られていませんでした。なので船員たちは栄養失調と壊血病でバタバタと死んでいったのでした。

華麗なるクルージング―海の船旅
海時計職人ジョン・ハリソン―船旅を変えたひとりの男の物語
海を渡った人類の遥かな歴史 ---名もなき古代の海洋民はいかに航海したのか
マゼラン 最初の世界一周航海――ピガフェッタ「最初の世界周航」・トランシルヴァーノ「モルッカ諸島遠征調書」 (岩波文庫)
壊血病とビタミンCの歴史―「権威主義」と「思いこみ」の科学史

2.5 遠い異国の地

彼がたどり着いたのは現在のインドにあるゴアです。ゴアはインドの西海岸にあったポルトガルのインド経営の拠点でした。古地図をみると街全体が海と川と堀で囲まれた自然の要害、つまり城塞都市だったようです。ここでもう一つ城が登場しました。最果ての城は一つではないのです。彼は生まれ故郷から遠く離れたこの城へとやってきたのです。しかし現地住民にキリスト教を広めようとした彼の努力はなかなか報われません。言葉も通じないし考え方も違うし何と言ってもその時は既に現地住民と支配層の仲は険悪だったわけです。

数年後、彼はマレー半島にあるマラッカへと渡ります。ポルトガルはゴアを植民地にした後、続けてマラッカも侵略して植民地にしていたのでした。ここには元々マラッカ王国の首都だったのでそれを攻め滅ぼしての植民地化でした。ということはゴア以上に敵だらけということです。もちろん布教活動はうまくいきません。ちなみにここも城塞だったと思われます。

ということでマラッカはすぐにあきらめてモルッカ諸島へ向かいます。モルッカ諸島は現在のインドネシアです。この辺りは今でも多くの民族が共存していて昔ながらの生活をしています。それだけに布教活動も難しいはずです。現に彼はその当時の心境として「連中は人の肉を食べるらしいじゃないか!そんな連中にキリスト教が理解できるわけがない」と綴っています。なんとも投げやりな態度ですが仕方がありません。キリスト教では(その他の多くの宗教もそうですが)人を傷つけることを禁止しています。その上食べるなどとは想像すらできないのです。現在ではなくなったと思いますがそういう文化は実在したようです。村の英雄が亡くなった時にその屍肉を食べることでその力を自分に取り込むことができるという考え方のようです。まぁ彼でなくてもそういう人たちとはつきあいづらいでしょうね。

キリスト教に一生を捧げるつもりで旅をしてきましたが話を聞くだけでも疲れてきます。彼自身どんな気持ちだったのでしょうか。

2.6 もう一人のタイトル候補

そんな彼の元に一人の男が訪ねてきます。その男は鹿児島出身で事件を起こして指名手配中に海外逃亡していたところ、彼の話を耳にし訪ねてきたのでした。一説にはやむを得ない事情で人を殺してしまったらしい。当時、盛んになりつつあった南蛮貿易のため来日していた船に潜り込んだようです。その男の名前はアンジロー。曲の題名がゼビアに決まる前はこのアンジローが最有力候補でした。…しかしあまりにも和風なので…。

アンジローに日本の話を聞いた彼は日本に生きたがります。日本人は礼儀正しく清潔でキリスト教を理解できると聞き興味を持ったようです。数年後、望み通り日本へと旅立つことになります。アンジローもその頃にはポルトガル語ができるようになっていたようです。

アンジローの通訳によって日本での布教活動は順調に始まります。まず落ち着いたのが現鹿児島県—薩摩の国伊集院にあった一宇治城、現長崎県—肥前国の平戸、現山口県—周防国の山口にあった大内氏館を経て現大阪府ー和泉国の堺まで旅をしてきます。彼の最終目標は当時の日本の首都である京の都です。日本全国で布教する許可を出せるのは日本の国家元首である天皇だけだったからです。

しかしながら彼の旅はゴールを目の前にして絶望的な結末を迎えます。当時の京都は応仁の乱以降、戦乱に継ぐ戦乱によって荒れ果ていていわば原っぱみたいになっていたそうです。数少ない公家の邸宅も雨漏りし放題で部屋の中に雑草が生えてたとか。それでも彼は天皇に拝謁するためあれこれと手を尽くしましたが無理なものはムリと受け入れられることはありませんでした。ちなみに京の都の本当の名前は平安京でまたの名を宮城(きゅうじょう)といいます。イメージにないかもしれませんがここも城です。彼は地球半周近い距離を城から城へと旅した人です。

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2.7 最期は…

彼は平戸に戻ってきました。日本に来て約2年。当時の平戸は南蛮貿易の重要港でヨーロッパの仲間がたくさんいたのでしょう。彼は布教を効果的にするための方法を考えました。それは大胆にも中国をキリスト教化することでした。日本では仏教や儒教の影響が色濃くキリスト教に改宗することに躊躇する人が多かったのです。そしてそれは中国文化の影響が強いからだと彼は感じていました。なので「中国人もみんなキリスト教徒だよ」と言えば日本人もそれに倣うと思ったらしい。そんなうまくいくかなぁ?

何にせよそのために今度は中国に行くって言い始めちゃったんで周りもさぞかし迷惑だったことでしょう。それは周りだけでなく彼自身にも負担が大きかったようです。まずは本国ポルトガルとの連絡のためゴアに戻ります。その後すぐ中国に向けて出発しますがその途中、ついに病に倒れます。彼のたどった旅路を思えば無理もありません。今まで活動できたことが奇跡的です。中国(当時の明国)の上川島にて死去。享年46歳。

伊能九州図と平戸街道―平戸藩旧蔵絵図収録 (九州文化図録撰書 (4))
常識として知っておきたい日本の三大宗教―神道・儒教・日本仏教 (KAWADE夢文庫)
紫禁城の栄光―明・清全史 (講談社学術文庫)

2.8 聞こえる?

彼の名前は英語だと日本語とはずいぶん違う感じになります。1.2 何のことかでも書きましたが何気なく電子辞書で調べたらそうだったのでそこから曲名に採用しました。その電子辞書の音声を聞いてもらえれば早いんですがここに掲載することはできないので特別に私の肉声で勘弁してください。

どうですか?ゼビアって聞こえませんか?ずいぶん長い話になりましたがこれがゼビアの由来です。そうそう、彼の名前は日本ではフランシスコ・ザビエルとして知られています。

ザビエルの見た日本 (講談社学術文庫)
フランシスコ・ザビエル―東方布教に身をささげた宣教師 (日本史リブレット人)
ザビエルとその弟子 (講談社文庫)

2.9 どうして

この最果ての城のゼビアという題名はいくつもの理由、考えがあってつけました。その理由の一つは演奏者が自由なイメージで演奏してもらいたいというものです。

そもそも私は音楽が何か具体的なものを表現し得るとは考えていません。今まで音楽を聴いて受けた印象と曲の本当の意味が寸分違わず一致したという経験はありません(曲の本当の意味って何?)。言葉が具体的な物や概念を表せるのはみんながそういう意味だと共通認識しているからです。日本人にとってはあたりまえの言葉の意味も外国人からみれば何のことかわかるはずがありません。日本人同士ですらその知識や経験から理解にズレが生じます。音楽は世界の共通言語的な例え方をされることがありますが、音楽を母国語として演奏している人はほぼいないといえます。みんなが音楽を第二、第三言語として学び演奏しているのです。それもほとんどの人が学術的に文法や語義について学んでいるわけではないのでお互いに意思の疎通が難しいのは当たり前です。しかし、それでいいんだと思います。だからこそオリジナリティが生まれ、目に見えないコミュニケーションができるわけです。

ここで紹介したゼビアの由来はあくまで作曲段階においての私の勝手なイメージです。そのイメージを正しく表現できたとも思っていません。それはただのとっかかりにすぎません。演奏してくださるみなさんには豊かな想像力があると思いますので人があっというような演奏をしていただけたらなと思います。

最期に、ここでお話ししたのは2013年1月頃に私が独自に調べた事柄を思い出しながら書いたものです。つまりうろ覚えです。勘違いなどによる間違いも多々含まれているはずです。あくまで最果ての城のゼビアの解説としてのものなのでご容赦ください。テスト勉強のときは全て忘れて勉強しなおしてください!

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演奏のための楽曲分析法
音楽の基礎 (岩波新書)